あの日 あの時 | ハーベストホーム株式会社

あの日 あの時

あれから10年。
自分の中でも、どこか記憶が薄れているように思えたので、ここ最近のNHKの番組を録画して少しずつ見ています。
やはり忘れてはならないことだと実感しております。


(写真は実際に被災された地域ではありません)

あの日あの時、私はチョットした備品を買うためにホームセンターにおりました。突然ホームセンターの鉄骨を揺るがす軋むような音と共に、グラグラと体が振られるほどの揺れに襲われました。お客様も店員の方々も一斉に外に逃げ出したのですが、逃げる途中、足がすくんで動けなくなった高齢の女性がうずくまっていたので、とっさに手を取って引っ張って外まで連れ出しました。振り返ってみても自分でも微かな記憶しかありません。

その後停電の中、一夜を過ごしたわけですが、都内在住の娘が秋田に帰ってくる予定で、羽田行の電車内で地震に遭遇し、どうにか羽田空港には着いたものの、そこで夜を明かすことになりました。お互い電池の残量を気にしながら携帯電話で連絡を取りましたが、都内の状況が酷いとは知らず、秋田が停電で大変だからとまずは都内の自宅に帰るようにすすめてしまいました。後から聞いたら空港から結構な距離を歩き、どうにかタクシーを捕まえて辿り着いたそうです。

地震のあとの停電のせいもあり、太平洋岸であのような事態が起きているのは夜中まで知りませんでした。寝ていても寒かったので、息子と2人で車に避難したのですが、そこで車のTVで初めてあの光景を目にしました。最初は何が起こっているか全く頭に入って来ませんでした。事態を飲み込むのに、すごく長い時間がかかったと思います。

秋田でもその後、食料品の調達に苦労したり、ガソリンがなくなったり、自分としては結構な苦労をしたと感じましたが、今回改めて特集番組を見ると、津波や原発の影響を受けた方々の苦労は、比較すべきものでないほどのものであったことを思い返させられました。
画面から流れる被災者の『地獄だ ほんと地獄だ』…という言葉しか無かったと思います。

地震国「日本」に住んでいる限り、避けては通れないことかと思いますが、神を信じるしか手立てがない大災害。まずは神戸、三陸、宮城、福島、熊本をはじめ、「復興・復興」という掛け声ばかりでなく、血の通ったスピーディーな行政の決断と行動をお願いしたいと思います。

コロナの問題もそうですが、超法規的な対応に腰が引けていては何も出来ないのではないでしょうか。